映画ネタバレ

映画【Fukushima50】ネタバレあらすじ!彼らは勇者だった。感想レビューも

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

2011年3月11日、東日本大震災で人知を超えた大津波に襲われた東電福島第一原子力発電所。

機能停止、そしてメルトダウンと水素爆発…いつ終わるとも知れない危機的状況の中で…あの日、原発内に残って戦い続けた作業員たちを、海外メディアは”Fukushima50”と呼んだのです。

ここでは、映画「Fukushima50」のあらすじを「ネタバレなし」、「ネタバレあり(結末まで)」のパートに分けてご紹介します。

後半では、感想レビューを書いていますので、そちらもぜひご覧ください。

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【Fukushima50】予備知識

「Fukushima50」の予告動画

公開日(日本):2020年3月6日

監督:若松節朗

キャスト

渡辺謙(吉田昌郎):
福島第一原子力発電所・所長。大阪府出身、東京工業大学工学部卒業。
東日本大震災当時、現場指揮を執る。
2013年7月、58歳、食道癌で病没。

佐藤浩市(伊崎利夫):
福島第一原発、1・2号機、当直長。
地元、福島県双葉町出身。
父親は福島第一原発の黎明期に建設現場で働いていた。

吉岡秀隆(前田拓実):
福島第一原発、5・6号機、当直長。

緒方直人(野尻庄一):
福島第一原発、発電班長。

日野正平(大森久夫):
福島第一原発、管理グループ長。

安田成美_(浅野真理):
福島第一原発、緊急対策室総務班職員。
濃やかに気遣い、吉田らを支えていた。

吉岡里穂(伊崎遥香):
伊崎利夫の一人娘。結婚問題で父親と仲たがいをしていた。

富田靖子(伊崎智子):
伊崎利夫の妻。舅・敬造と遥香を連れて避難所に身を寄せた。

津嘉山正種(伊崎敬造):
利夫の父親。福島第一原発の黎明期に働いていた。

斎藤工(滝沢大):
遥香の恋人。
会津若松で造り酒屋をやっている。
バツイチ子持ちで、相当な年上ということで、伊崎には交際を認められていない。

中村ゆり(前田かな):
前田拓実の妻。息子を連れて、伊崎家とともに避難所で暮らしていた。

佐野史郎(内閣総理大臣):
首相官邸で未曽有の災害に直面し、陣頭指揮を執る。
しかし、思い付きで行動し、現場を混乱させた。

段田康則(竹丸吾郎):
東都電力役員。政府と現場の橋渡しをしていた。

篠井英介(小野寺秀樹):
東都電力常務。政府と現場の橋渡しをしていた。

ダンカン(福島民友新聞・記者):
首相官邸の記者会見で、福島はどうなるのか、と質問を繰り返した。

ダニエル・カール(ジョニー):
横田基地所属の米軍将校。
トモダチ作戦を立案、遂行した。
幼い頃、父親がジェネラル・エレクトリック社のエンジニアで、福島第一原発一号機の一号機の建築に携わっていたため、福島・双葉町で暮らしていた。

前川泰之(辺見秀雄):
陸上自衛隊・陸曹長。
津波直後に、冷却用水を供給するために陸上自衛隊の消防車・ポンプ車を福島第一原発に届けた。

作品概要
あの日から間もなく9年。

福島第一原発で起きたことは、当時の報道やネット上に残る動画などの資料、そして纏められた数々のドキュメンタリーによって伝えられてきました。

しかし、その裏側であの場所にいた人々の姿や思いがどこまで詳らかにされていたか、は定かではありません。

若松節朗監督は、発災以来、刻々と変わるそのシビアな状況を緻密に再現しながら、あの時福島第一原発で何が起きていたかをエンタメ作品の形にまとめました。

凄い“熱量”を感じる映画です。

【Fukushima50】あらすじ(ネタバレなし)

2011年3月11日、14:46

震度6強という地震に見舞われた東都電力福島第一原子力発電所。

即座に1号機から3号機までが緊急停止(自動スクラム)に入り、非常用のディーゼル発電機が機動しました。

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

この時、原子炉に最も近い1号機及び2号機のサービス建屋にある中央制御室では、当直長・伊崎(佐藤浩市)を筆頭に数多くのベテランが訓練通りの対応を進めていたのです。

全体を統括する所長の吉田(渡辺謙)は海側からは奥まった場所に作られた免震棟で緊急時対策室を立ち上げ、東京の本店との連絡を取り始めていた、まさにその頃。

津波警報が発令され、職員たちに退避命令を出した直後に、予想を超える津波が到来したのです。

10m迄なら防げるはずの防波堤はやすやすと超えられ、車や人を巻き込む勢いで全てが押し流されました。

渦を巻く黒い海水は非常用電源を水没させ、サービス建屋は完全に沈黙___SBO=ステーションブラックアウトです。

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

伊崎らは電源が消失したことで原子炉がメルトダウンを起こすことを予想していました。

「このままでは、チャイナシンドロームが起こる…」

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

それを防ぐべく、懸命な努力が始まったのです。

周辺住民の避難

もしものための予防措置ということで、周辺住民らの避難が始まりました。

詳しい事情を知らされないままに、まず原発から二キロ圏内、次第にその輪は大きくなっていきましたが、住民は粛々とバスに乗り、また自家用車に荷物を積んで避難していったのです。

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

その中には伊崎の家族もいました。

地元出身の伊崎は、父親の敬造が発電所の建設に携わったことで街が潤い、高度経済成長期に出稼ぎに行かなくても済むようになったことを覚えていた世代です。

同じく、当直長の前田の妻・かなと幼い息子も避難していました。

避難所で再会した伊崎の妻・智子は、情報が入らず苛立つ者も多い中、かなが羽織っていた東電のロゴが入ったコートを脱ぐように促していました。

東京の首相官邸では、官房の長官らによる記者会見が行われています。

鋭い質問が飛び交う中で、一人の記者が手をあげました。

福島民友新聞の記者です。

彼は、呆然と問いました。

「教えてください…福島は、どうなってしまうんですか?」___と。

以下、結末までのネタバレになります。ご注意ください。

【Fukushima50】あらすじ(ネタバレ)

ベント

地震の発災直後から、止まることなく報道され続けていた被災地の情報の中に福島第一原発のことが増えていきました。

それは国内にとどまらず世界中に拡散されていったのです。

アメリカ大使館はその危機的状況を本国に伝えつづけていました。

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

事態は悪化の一途をたどり、整備区域にも人が近づくことが難しくなっていったのです。

電源を喪失したことで、原子炉内の冷却水が減少し、温度が上がってきました。

炉内の圧力が増し、このままでは燃料が溶解…メルトダウンという大惨事に繋がってしまうの可能性が発覚したのです。

圧力は、設計規格の二倍近く。

速やかに炉内の圧力を下げるべく、原子炉の弁を開けるベントという作業を行わなければまりません。

本来のシステムは電源が落ちているために使うことが出来ず、手動です。

伊崎は、自分とともにその作業を行う者を募りました。

限られた時間内に、安全に行うため、常に二名一組である必要があったからです。

その時、ベテランの大森が手をあげました。

伊崎は全体の統括をするべきであること、そして、これは将来のある若い者には任せられない、というのです。

酸素ボンベは20分しかもちません。

そして炉内の線量は想定した範囲を軽く超えるレベルで増えていきました。

吉田と伊崎がベントを始めようと決意を固めていたころ。

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

首相が直接福島に陸自のヘリで乗り込んできました。
(これは、実話です)

その対応で手配が刻々と遅れ、いら立ちが募る中、吉田は「我々は“決死隊”を作っているんです」と言い、首相を黙らせました。

二つある弁の一つは予定通り開放することが出来ましたが。

二組目は高温と線量の高さに目的の弁までたどり着くことが出来ず…その結果___一号機は水素爆発を起こしたのです。

去る者、残る者

中央制御室はSBO依頼ずっと闇の中でした。

みな、手元の懐中電灯が頼りです。

その中で踏ん張り続けてきた者たちも、疲労と放射能の恐怖に打ちひしがれていたのです。

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

そして、なんとか電源を復旧させるために、そして海水をくみ上げて炉心を冷却するために、と屋外で作業していた職員や協力会社の社員、消防車を提供した陸上自衛隊の隊員らも、命がけの仕事をしていました。

同時に自衛隊のヘリが水を上空から散水することで冷却はできないか、という手法もとられましたが、吉田はそれをテレビで見て「蝉のションベンだな」と呟いたのです。

危険が迫る中央制御室では最少人数の5名を残して交代制とし、殆どの者を免震棟へと社員を退避させることを決意していました。

伊崎も、免震棟へと退避することになったのです。

伊崎は娘の遥香に「お前のやりたいように生きろ」とメールを送りました。

東京の大学をでて実家に戻ってきた娘は、バツイチ子持ちの40近い男と恋に落ちていたのです。

「何のために東京の学校にまで行かせたんだか…!」

そう嘯いていた伊崎でしたが。

こと、ここに及んでは、もう本人が生きたいようにしてやることが最善であろう、と考えたのです。

そのメールを見て、遥香は不安になりました。

言葉とは裏腹に。

今まで絶対に使ったことがない絵文字が、その末尾にあったのです。

在日米軍は…

11日の発災直後から、米軍は即座に様々な事態を想定し、出来うる限りの支援を検討していました。

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

その中の一人の将校・ジョニーは、ニュースの画面の中の福島原発を見て、複雑な思いを抱えていました。

彼の父親はかつてゼネラルエレクトリックの技術者として、福島第一原発の一号機の建造に携わっていたのです。

「あそこには、良い思い出しかない…」

彼の脳裏には、父とともに移り住んだ福島の風景、そして共に遊んだ双葉町の子供たちのことが浮かんでいました。

彼は、救援物資を携えて困窮している被災地を支援することを決めたのです。

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

その作戦名は“トモダチ”___。

奇跡

交代要員も送り込まれることがないままに、ぎりぎりまで人数を絞って、対応は進みました。

生身でホースをつなぎ、命がけの注水を続けたことで、残った原子炉は冷却が進み、かろうじて安定を保つことが出来ました。

最後まで残っていた伊崎も家族を探し求めて避難所へとやってきたのです。

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

抱きしめた娘のぬくもりに、伊崎は生き延びた、という事実を体感したのでした。

そして、時は流れ…___2014年の富岡町。

伊崎は、帰還困難区域になってしまった双葉町へと車を走らせていました。

記憶を辿る彼は、2010年の6月に、吉田が赴任してきたことを思い出していたのです。

立場は違えど、伊崎と吉田は同い年で、共に働いてきた旧知の仲でした。

「また一緒にできるなぁ」

(C)2020「Fukushima 50」製作委員会

そう言って迎え入れた伊崎に、大阪出身の吉田は「頼むで!」と笑って返しました。

その吉田は…あの壮絶な日々の二年後に食道癌でこの世を去ったのです。

彼は、伊崎に手紙を残していました。

(あのとき、何が悪かったのか…)

きっと彼も考え続けたのでしょう。

自然の力を舐めていた___10メートルを超える津波など、起こらないと考えていたこと。

40年以上ものあいだ、自然を支配したつもりになっていた…それは慢心なのだ、と彼は書いていたのです。

あの日々、ともに闘った者たちが、彼の葬儀に集まりました。

(よしやん。俺は、最後までお前さんと一緒だった)

伊崎は、二人っきりの時には吉田のことをそう呼んでいたのです。

車で通り過ぎる街並みは朽ち果てていましたが、そこには昔から残されていた看板がありました。

『原子力 明るい未来の エネルギー』

伊崎が子供の頃は、学校の社会科見学で原発の広報施設に行き、そのメカニズムをまるでSFのように心を躍らせて聞いていたものだった、と彼は思い出していました。

そして、目の前にあったのは、昔から変わらない桜の並木です。

「よしやん、今年も桜が咲いたよ」

(約束するよ…あのときのことは、必ず後世に伝える)

伊崎はその薄紅色の花の向こうにあった蒼い空をみつめていました。

【Fukushima50】感想とレビュー

映画ですから。

そこには様々な人のフィルタを通してあの時期のことを描いています。

だから、どうしても賛否両論、ことにこういうテーマは難しいんでしょう。

それでも、高く評価したい。

渡辺謙さんが演じた吉田昌郎所長の凄みは一見の価値ありありです。


実は、吉田所長のあの当時、実際に動画が結構残されていて、NHKなどのドキュメンタリーでは声も姿もそのままに見ることが出来て、今でもYouTubeで観ることが出来ます。


完全に英雄視はしたくないけど。
でも、あそこでこんな風に踏ん張った人たちがいたんだということは、理解して、記憶にとどめておきたいと思います。

そのひとつの入り口として、この映画は価値があるはずです。

さて。

これだけのキャストを集めたって、それだけで凄いわー!というほど、幅広い年齢層のほぼ男性ばっかり、が主演しています。

そして、斎藤工さんがひょっこり登場して驚いてしまいました。

会津も、このあと大変だったろうに。

無事に遥香と結婚できてると良いなぁ。

さて。
日野正平さんはじめとするベテラン勢、存在感素晴らしかったです。

言葉遣いからも解る…地元で生まれて育って、目の前にあった原発は魅力的なお仕事で…そこで勤め上げていった先達も沢山いたことでしょう。

まさか、自分たちが現役の時にこんなことになるなんて、想像もしていなかったに違いない…。

だからこそ、自分たちの手でなんとかしたい、という気持ちと。

放射能の恐ろしさを誰よりも解っているから、これからまだ未来がある若手には、危険なことはさせられないのだと腹を括っている…リアルな吉田所長と本店の通話記録には「じじい決死隊」という言葉がありました。

私は、関東で暮らして、計画停電があった時期のことをよく覚えています。

震災から数日の、あのなんともいえない”終末感”。

彼らがあの死線のほぼほぼ向こう側で踏ん張ってくれたからこそ、完ぺきではなくとも、リカバーできたのだ、と思っています。

きっと、モデルになった人がいたんだろうな、と思いながら、中央制御室や免震棟で立ち働く人々の芝居を見ていました。


そう。

全てに賛同する義務はないし、肯定する必要のなくて、ただ、これを観て何か感じて、考えれば、意味はあったはず、と思います。

春ですから。

…そしてまた巡ってくる3月11日を経て。

今年も、きっとあそこには見事な桜が咲くはずです。

上を向いて花を愛で、前を向いて歩いて行けるということは幸せなのだ、と改めて考えさせてくれる、そんな映画でした。

まとめ

言うまでもなく。

諸々、微妙な問題を含んだ作品です。

この事故の当事者であるはずの東京電力はノータッチ。

TEPCOではなくロゴもTTEPCOとなっており、東都電力株式会社とされています。

横田基地・在日米軍の協力は大々的に報じられましたが、陸上自衛隊に関しては要人輸送ヘリ(スーパーピューマ)の実機を飛ばしたものの、エンドロールには防衛省・陸上幕僚監部広報室などの表記はありません。

そうそう。

首相も、政府関係者も、おしなべて肩書のみの表記となっています。

個人名を出せなかった、ということなのでしょう。

ちょっとした闇が、まだそこに存在しています。

しかし、それでも今この時期にこの作品が世に出たことは素晴らしい実績である、と思います。

ラストシーンには見事な桜がありました。

恐らく昨年の春に撮影されたものと思われますが。

今年は、3月10日にその場所の指定が解除になるそうです。

あらためて、吉田所長のご冥福をお祈りします。

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